昨日の山の写真


ススタケ藪でティータイム。
何もこんな展望のないところで休まなくても…
と思われるかもしれないけど、ここがいっちゃん落ち着くので。(変わり者と言われようと…)

お昼のおかず。
ためしに作ってみた山菜の昆布〆。
昆布が賞味期限をはるかに過ぎていた(家族には食べさてない。自身で毒見を。)けれどまあまあ食べられた。
この前フクラギの昆布〆で昆布を全部使ってしまい買うのを忘れているところに蕨がたまたまたくさん採れたので、19年に消費期限という昆布(母がたまに期限切れのをもらってくる、理由はわからない。うちに来てからそんなに経ってない。)が目に付いた。
怪しいか怪しくないか、味見してみなければわからない。
だいたい売っているものは消費期限が明示されているけど、もしも自分でとって来た場合の消費期限とはいったいいつなのか?
それは、素材の顔を見て「まだおいしそうだ」「これって食べれる気がしない」との線引きをするしかないのだ。
という視点で見て、この昆布は私的には見た目怪しくなかったので使ってみた。
といっても昆布を食べるわけじゃなくて食べるのは山菜のほう。
あくまでも昆布はダシ兼水分を吸い取り保存性を高める材料。
しかし、この昆布硬かった。

前にブログに”蕨野行”のことを書いた。
日曜 雨・風強く荒れた天気 - hoochieの日記
私の山菜の師匠と「将来タケノコとりに行って私が家に帰ってこなくても、子どもに捜さんでいいよ、って言ってる」と言うような話をいつもしていて、私たちって蕨じゃなくてススタケになるのか、と常々思っているが…
この写真、ススタケになってるとこじゃありません。まだ!いくらなんでも!
朝早かったので、眠くて眠くて笹の葉の木陰でお昼寝中なだけで。
それより手前に生えてるススタケの細いことったら、こんなのばかりで、採るのに「これは!」というのを見つけるのに苦労したんだけど。

あれ?先週こんな看板あったっけ。と思った。
草刈りもされているし、もしかしたらこの1週間で取り付けられたのかな〜、わりと新しいし。
1週間の違いで、山の色も違うし、咲いてる花も違うのに気づいた。
同じ山に2回続けていく、というのは私の得意技だけど、実は大変贅沢なことかもしれない。

帰ったらススタケが山に帰らないうちに茹でるべし。
茹でてしまえば皮を剥くのは翌日でもOK。

ウドは夫が持ち帰ったもの。
長くて太いいいウドだった。
雪の解けたばかりの高所で採ったと思われる。
だってもうここらじゃあウドの大木になってしまってるもの。
これも山に帰らないうちに、さっと熱湯に通して唐辛子ミソ漬けに。
もともとウドは皮を剥かなきゃいけないと思ってて(こちらに来たばかりのころ夫の母がそうして大量の皮を出していたので)手のつめを黒くしながら皮を剥いてウド本体は薄く切って酢ミソにしたり、皮はキンピラにしたり(こっちのほうが量が多い感じがした)と当たり前のようにやっていた。
けど、いつか師匠が「ウドの皮なんて剥かんでもいいよ、やわらかいウドならそのまま食べられるし」と教えてくれた。
だいたい売ってるウドは買ったことないけど、お店で手に持ってみたら硬かった。
こういうウドなら皮を剥くのがいいかもしれないけど、山で採ってきたばかりのウドなら皮は硬くない。
それにいろいろ採ってきて処理に忙しい中、いちいち皮を剥いて水にさらすのは苦痛。
だから最近は皮をつけたまま、太いところは唐辛子ミソ漬けに、細いところや葉先はキンピラに。
当日は葉っぱのてんぷらも作る。
こうすればウド様が山に帰られる午前0時前までにすべてが片付く。
疲れていても夜遅くまで山菜の始末をするのは私はまったく苦痛でないばかりか、けっこう楽しい。
山菜は、採るときと、家に帰ってからと、食べるときの3度楽しめるのだよ。