学校に送っていった。

今日からお弁当を持っていかなければならなくなったT治郎。
今日の給食の献立表を見る限りでは、牛乳以外では、食べて悪いものはなにもなさそうだったが、これとこれはよい、これはだめ、と言う判断を学校側でしている余裕がないため、給食を12月3日まで全部とめたので、結局意味なくお弁当を持っていった日。
保育所では献立表に私がチェックして、除去食で対応してくれたため、一度もお弁当は持っていってない。おやつ等も他の子がケーキの日はゼリー、アイスの日もゼリー、とゼリーばっかでゼラチンアレルギーをおこすのでは、と思うほどだったが、無事4年間を過ごし、かなりよくなって小学校に入ることができた。
食べて悪いものが「牛乳そのものを飲むことだけ」ということになって、安心しきっていた矢先の出来事だったのでこっちも(ラーメンはどこのメーカーなら卵白はいってないんだっけ?)とか、(乳製品、はダメで、乳酸カルシウムはOKだったよね、確か)と、記憶があやふやなのだった。
赤ちゃんのころから、4歳ごろまで厳しい除去食で家中ピリピリしていた。
他の家族は卵もケーキもたべたい。T治郎の見てる前で食べるのはかわいそう。
そのせめぎあいで苦しい毎日だった。それが、牛乳を飲む以外ならなんでもOKですよ、と医師から言われた日、ものすごい開放感だった。
たぶん、アレルギーの苦しさを経験したことのない人にはわからないとおもうけど、(そういう私も、自分ではひとつも経験してない。見ていてかわいそうだと思うだけ)普段元気で、突然危険な状態になる、というのは怖い。私も上の2人のときは、アレルギーをなめていて、命に関わるとは全く思っていなかったが、実は怖いものだったのだ。
で、しかたなく、お弁当を作り、インスタント味噌汁用のお湯をポットにいれ、牛乳の変わりのお茶のペットボトルをランドセルに入れると、ただでさえ小さいT治郎は、歩くことも困難なくらい重たかった。
不安で泣くT治郎をだましだまし車にのせ、学校に送っていった。
その後、家に帰り、車を車庫に入れ、ランニング通勤で、8時22分に事務所に滑り込んだ。遅刻ギリギリ。