去るものは追わず?!

山のツクシ

フキノトウを採り始めたのが3月、今はもうすぐ5月になろうとしてる。今年、ツクシ人気で何回採りに行ったか今度暇なとき数えてみようと思うが、身近ではどんどんスギナに変わり、ツクシは見られなくなった。今朝は連休に行く(子供の通う保育所の先生たちと行くことになっている。いつも一人なので誰かと一緒に行けるかと思うと楽しいような、緊張するような)負釣山のアプローチの偵察に行き、ツクシがあったので採ってきた。かなり山奥。去年まではうちではツクシを食べてなかったのだ。こんなおいしいものを、この地方の人々は食べないらしい。こっちに来てすぐ、私がツクシを採ってきて食卓に出したのだが、義父母に「こんなものが食べれるのか」と言われてしまった。ダンナは名古屋にいたころは食べていたのだが、その後食卓に上がることなく、今まで封印されていたのだ。先月名古屋の実家に行き、ツクシが晩御飯に出たので「なつかしい」と思って食べたら、その優しい味にハマッてしまった。お土産に冷凍したのをもらってきたら、相変わらず父母は気味悪そうにはしをつけないのだが、ダンナがおいしそうに一鉢食べてしまった。毎日ツクシを採る日々…桜も散って、すべてのツクシがスギナになっても、山奥に行けば新鮮なツクシがあるのである。今あるものを採ればよい、という考えは、確かにそうだが、やはり、好きなものは好きだ。ウドもよいが、ツクシもよい。ゼンマイはどこに行ってもあるがこれもまた見過ごすわけには行かない。今日は、コゴミもあって、ツクシもあるが、もう時間がない、という情況だった。ツクシを選んでしまった。何時間でもあればいつまでも採っていたかった。また行こう。