単独研修道場から帰る

仕事が休みの水曜日、のんびりと家にいてもよかったけど、何か山に行って自分に課題を課さなければ、という気持ちで、一人で出かけた。
どこに行くかは先週くらいからだいたい考えていた。
夏は気楽に登れるが、今の時期けっこう手強いと噂のある負釣山。
前には一度3月に登ったことがあるが、雪はさほど多くない年だったと見えて、頂上もちょっと急だったけど、なんとか登れたし、下りも歩いて下りれたので、その「手強い」という噂が本当かどうか確かめてみたかったのもある。
最後の壁がすごいと聞いていたし、ピッケルを持っていった。
前の日、クタクタに疲れて倒れこんで寝たので、準備が全くできてなくて、朝になってから準備してたら、地図が見当たらない。
知ってるとこだしいいか、と思って持っていかなかった。GPSも家になかったし。
(ここからもう間違ってる)
で、家を出ようと車に荷物を積んでると、なんと、隣の家の玄関のガラスに車のドアが当り、割れてしまった。
隣に謝りに行き、ガラス屋さんに行っていたら家を出るのが遅くなり、駐車場に着いたら10時半だった。
それでも張り切ってスキーを履き林道を30分歩き登山口へ。
ここからはカンジキを履き、スキーをデポ。
曇り時々雪の予報どおり、チラチラと雪が降る中、それでも視界はあり、何か実家に帰ったような懐かしさと安心感で楽しく登った。(下のほうは。危ないとこないし。)
途中「頂上まであと1.8キロ」と書いた看板を掘り出した痕がある。曲がり角のところだから3合目。
たぶん日曜に登ったと思われるトレースがこの少し上まで続いていた。
看板の位置をわかって掘り起こしたとしたら、この山をよく知ってる人ですね。
ところどころ、段差があるような箇所は、雪が吹き付けそのまま固まったのか、丸っこくせり出していて、ハングしているかのようだ。低くても自分の身長くらいだと、そのままでは乗り越えれないので、ピッケルで足場を切るのと、自分の胸のあたりにくる雪の壁を切り崩してなるべくハングしてない状態にしてから登る。そうしないと、丸っこくせり出した雪の壁に体がはじかれ落ちるから、90°以下にしてから登る。
こういう場所が出てきた時点で、ストックを片方デポし、左手にピッケル、右手にストックで登った。
恥ずかしながらまともにピッケルを使う山に行ったことがなくて、山菜取りのとき泥壁を登るのに泥にさして使っていたことしかない。今回始めてまともに使った。でも氷をカッティングしたというより、雪を切り崩しただけだから、まともっていうより…
ピッケルは岳人の魂というが、本物の厳しい山に登るなら必携だと思う。
標高がそれほど高くない気温も低くないこの山でも必要だからもっと高くなれば、なしでは登れないだろう。
7合目くらいで小休止。ここまで休まずに来たし、写真もほとんど撮らず夢中で登った。けっこう気を抜けず、写真をとれないような急な斜面も多かった。
休憩の時サーッと晴れてきて、海まで見渡せた。
前方にはまだ道が続いているし、これは頂上目指すしかない。が、このときもう2時。
けっこう時間がかかっている。
夏のように走るわけに行かないし。
この頃携帯がなり、実家の母からの電話だった。私が休みだと知ってかけてくれたのだった。
懐かしさについ長話をして、電池がなくなるから、と切って歩き出した。
9合目と思われる壁につきあたり、ここも慎重に足場を切りながら登ったが(もうストックではダメなくらい急なので、ピッケルを刺して、安全を確保しつつ登る)なんとかクリア。
ついに頂上直下の壁に突き当たった。
怖い!というのが正直な印象。
90°とかわらない。登れそうにない。
でも、さっきと同じに慎重に登れば、なんとか登れるかもしれない。
ダメだったら…とは考えつかなかった。
下りることも、その時点では頭になくて、もう登ることしか。
下部は90°ないが、登るにつれて、実際より切り立っているのに恐怖を感じたが、自分で自分に大声で「ガンバ!」と掛け声をかけ、(夏の負釣登ってる同じ場面からは考えられない)必死で登った。
怖いけど、登りたい。この壁を目の前にして登らずに帰られましょうか。
(というかもう登ってる途中、降りるのも大変)
なんとか登りきった。やった!
写真を撮る余裕がなく残念。
登りきったら頂上かと思ったら、また道が…本当の頂上はまだ先だった。
もう3時を過ぎていてるし、さっき聞いた電話の母の声を思い出すと、こんな危ないことはやめて家に帰らなくては、と思って引き返した。もう一度今度は水曜クライマーズ(水曜休みのクライマーの皆さんと)で挑戦したいと思った。
今回の目的、登れそうにない壁を登る、という目標は達成されたので、満足して下山。
下りるのもけっこう怖かったが、後ろ向きで(斜面を見ながら)下りれば大丈夫だった。というか、前向きで下りるのなんて考えられないくらいの斜度。
”伝説”の「Yちゃーん!君は来ちゃダメだよー!危ないから来ちゃダメだよー!」ってここのことだったのか?(知ってる人は知ってる話です。仲のよい、Y村さん夫妻の、ご主人が、奥さんに言ったという言葉だそうで、ホントこの壁の危なさをよくあらわしてます)
○○ちゃん、と呼んでくれる人がいる限り、こんなアブナイとこにきちゃいけません。
なんとか無事にストックが刺してある地点に帰り着き、(ここから先はさほど危なくない)家路を急ぐ。下のほうは雪が上よりたくさん降ったのか、トレースがところどころ消えている。
でもまっすぐ下りれば大丈夫、と思ってあるくが、そういえば、3合目の看板って通ったっけ?と疑問がわく。
だんだんトレースが全くない道となり、たまにちょっとしたくぼみが現れる程度になり、でもここしかないなと思い歩いていると、かなり下に来たという感じの2合目あたりの雰囲気のところに来た。
もうすぐ着く、けっこう速く来れた、と思っていると、だんだん道らしくなくなり、藪がさえぎったり、やけに急な斜面があったりで、(ルートを外れたのでは?)と疑問が湧く。
どこで間違えたかわからないが、少し戻って道を眺めると、あってる気がする。
これはどの尾根であれ、下れば林道に突き当たるだろう、多少余計に歩こうと下りてみよう。
でもちょっと日が傾きかけたときだったし、一応家に「道を間違えた」と電話を入れた。
目の前に、負釣の帰りにいつも見えている小さい杉の植林のある低い山が見えている。
方向はあっているのは間違いないのだが、登山道の右の尾根に入ったか、左の尾根に入ったかが定かでない。
間違えたと思ったあとで、また左に分かれていたので、左を選んだ。そっちが歩きやすそうだったのだ。
だいたい山スキーなんか行った時は、登山道なんかなくて自分で下りやすいルートを探しつつ行くので、それと同じで行けば、と思い、低いほう低いほうへ向かったが、杉林の中に入り込み、林道にはなかなかつかない。本来ならとっくについているくらいだったので、少し焦ってきた。
地図を持たないのが最大のミスで、でも、自分でなんとか活路を見出さなくてはならない。
目の前の小山(大谷山)に道のような白い線が2本見える。そこに行こう。どこか下界に必ずつながっているはずだ。
まず、下の道を目指して登った。一度谷まで下りているので、登るのはきつかった。
飲まず食わずで歩き回り(一人だと、つい食べるのを忘れて歩き回ってしまう)食料はかなり残っていたが、ちょっとおなかがすいたのでウィダーを飲んだ。
ごぼる雪に苦労しながら登っていると、足がつったように歩きにくくなってきた。
下の道に着くと、なんと道は左右で切れていて、道というより、ただの平な(でも、人工的に作られた)広い場所だった。
あたりに道と紛らわしい道じゃない平がそこらじゅうにあり、そういうところを歩き回ったが、埒があかないので、今度は多少回り道でも上の道を目指すことにした。地図かGPSがあればこんなことしなくてもいいのに。
この上の道に出ると、展望がきいた。携帯も入った。
家にもう一度電話し、もうすぐ暗くなるからビバークして明日の朝この道を西に向かって歩く、どこかしたに下りられると思う、と言って、その次に営業所の所長に電話した。
家ではこういう私に慣れているのでよかったが、所長は慣れてないのでかなりビビッたそうだ。(凍死すると思ったそうだ)
この地点からは下界から見慣れた黒菱などの山々が何か別の山のようになって見えている。300mくらい高いだけでこんなに山の見え方がちがうなんて。なんか他の山も全然違う顔をしている。
南正面に見えるのは、さっき自分がいた負釣だが、下界から見るのと全く違うし、この向きから見たのは始めてなので、どこがどこやらわからない。地図があれば!
さて、雪洞掘りに取り掛かるとしますか。
スコップは持ってきてないので、ピッケルと手で堀上げ、自分ひとりは座って足を伸ばせるくらいの雪のシェルターが完成した。1時間以上かかった。完成したのが6時半、まだ多少明るい。
足はたまにつったが、一晩休めば大丈夫だろう、と思った。
最初窒息したらダメだと入り口を開けていたが、寒いので中から雪の団子をいくつもつめてふさいだ。けっこう隙間があって、息苦しさはない。それでもさっきより冷気が入らない。
高気密高断熱住宅を販売するのが仕事なのだが、この雪洞も言ってみれば高気密高断熱だと思った。
外はカンカンに凍っているのに、中は雪が溶けるほどだから暖かいのだろう。
でも床暖房はなしなんだよねー。お尻は冷たい。
なるべく接地面積を減らすような体勢をとると冷たさが少ない。(座布団の1枚でも持ってきていればもうちょい暖かかっただろう)
ストーブとかラーメンとかもあるし、ウエアはダウンやら乾いた下着や靴下もあり、まずは濡れた服を乾いたものに着替え、ダウンを着て雨具を着ると、結構暖かかった。
ただし、靴は革靴だが、かなり濡れてしまい、(雪洞堀りで余計濡れたかも)靴下までびしょびしょだったので、乾いた靴下を履いて、その上からスーパー袋を履いた。これで凍傷にはならないと思った。(それほど気温低くないし)
ラーメンは明日の朝に取っておいて、冷えたおにぎりを一個食べた。
お湯を沸かし、飲んだ。残りをポットに入れ、体を休めよう、と横(というか斜め)になるが、完全に寝ることはできない。
明るくなるまでの12時間ほどの間、なんとか寒さと付き合えば、あとは大丈夫な気がした。
夜中に寒いと起きてストーブをつけ、お湯を沸かし、ペットボトルに詰め、湯たんぽにした。
暖かい!幸せ!
これを数回繰り返し、朝の4時ごろラーメンを作って食べ、着替えた。(もう一回迷うかもしれないし、乾いた服を温存するため)
6時に行動開始。昨日考えたとおり、この道を西に向かって歩こう。
歩き出すと、前方の尾根がどうもこの山につながっていて、それが本来の負釣の登山道の尾根じゃないかと思えるようになってきた。
このまま行けばなんか関連のあるところに出られるだろう、あとは斜面を適当に下りて、と思って歩くと、なんと、負釣登山口の看板のところに出た。わずか20分。
知らなかった。この道がこういうふうにつながっていたとは。
スキーをとりに10分ほど登り、スキーに履き替え、林道を下っていくと、人の声が…
なんと、Sちゃんとダンナが私を探しに上がってきてくれたのだった。
元気よく挨拶したが、ホントに申し訳ないことをしてしまった、と反省。
本当にありがとうございました。近いとこだし、自力で道探して家に帰って怒られても仕方ないくらいなのに、心配して来てもらえて、幸せです。
なんかH美ちゃんも途中まで携帯の中継に来てくれていたみたい。ごめんねー朝っぱらから。
2人はスノーシューだったので、私一人先に下り、車のとこから電話をかける。
子供はまだ学校に行ってなくて、みな安心して学校に行けたようだ。
所長の携帯にかけるが電源が入ってなくて、家に帰ると向こうからかかってきた。
「すみません、山から下りて何度もかけたのですが、つながらなくて」というと「昨日から何度もかけても出ないから、こごえ死んでしまったかと心配して心配して…生きてれば、なんでもいいっちゃ、ほんとによかった。今日は休んでもいいよ、ムリするな」と言ってもらえたが、「すみません。圏外なので、切ってました。夜お客さんのところに行かなくてはならないので、午後から事務所に行きます」と答えた。
首にならないみたいでよかったー。というのが一番安心した。
それどころか、来る人来る人に、「この人、遭難したんやっそ、雪洞掘ってサバイバルしたんだって」とうれしそうに(?)言いふらすし…「Yさん、雪山で泊まれたんだから、どんな仕事でもできますよ!」と言われ、「ほんとに生きててよかった」と何度も言われ、(あー…山に登らない人は、こんなに心配するんだ、ほんとに申し訳ないことをしてしまった。でも、黙って休めば余計ダメだし、正直に言ってまだよかったかも)と思った。
子供は学校に行ってて、会ったのは、仕事から帰った夜の9時頃だったが、「凍傷ならんかった?」とか「今日は布団で寝れて幸せやろ」と慣れた様子。(ちょっとは心配してくれてたのかなー)
布団は暖かったが、前日からだを折り曲げて狭いとこにいたので、まっすぐ伸びて寝るのがなんかぎこちなかった。そのうち慣れると「平らなとこで寝れるのはなんてラクなんだー、疲れが一気にとれる」と思った。
長くなったけど、写真がまだあり、また続きはいつか。