コメント欄の続き

昨日のコメント欄の返事を書こう、と思ってみたものの、長い文は苦手らしくなかなかうまく送信できないので、ここに続きを書こう。
tairaannさんのお父さんは、体は弱ってるがかなり精神力の強い人だと思った。
好きなように余生を送ってほしいと思った。(痛いのはかわいそうだけど)
私の父は若い頃、小説家になりたかったが生活のため働かざるを得ず(親が病弱だったため)仕事をするうちあきらめ会社を作った人だ。
そのことの何かがストレスになっていたかもわからないが、私だって、絵描きになろうと思ったこともあるがその実態を見ているうちに(ちょっと大変そう)と日和り、親を怒らせ、定職にはつかず、そのうち家を飛び出し、勝手に田舎に引越し、引っ越した先でも定職につかず、勝手に子供をたくさん産んで子供と遊んで暮らし、やっと仕事らしい仕事についたばかりで、親とは正反対に生きてきたみたいだが、ストレスは実はある。
ものすごくたくさんある。
でもtairaannさんのお父さんみたいに自分はエライとひそかに思っている。(おおっぴらに威張れる立場にないだけ)
全然ちがうけど、3人いる子供を一人も餓死させずご飯を食べさせてる私はエライと思う。
少ししかお金がないのに「今日はご飯はナシね」と言ったことは一度もない。
簡単に言えば、畑と水と山と海とお米の蓄えがあるからそれが可能なのだ。
都会だったらこうは行かないだろう。
だからエライのは私ではない。
話はそれたが、晩年父は何故か突然絵を描き始め、(色鉛筆だけど)私がお見舞いに持っていった花を全力で描いてそのせいでかなり寿命を縮め、早く亡くなったかもしれない。私のせいだけど、悪いことをしたのではないと思う。
だれでも必ず寿命があって、それはしかたない。
兄弟のうちで一人だけ死に目に会えなかった自分は間抜けだが(弟が「もうあぶない」と電話してきたとき350キロも離れたところで風呂に入っていたのだ。どうすることもできない)兄弟のうちで子供を産んだのは私だけだ。(弟は男だから産んでない。子供はいるが。まあでも産んだこととしておいてもよいが)その中に父の命が生きているともいえるから、それで自分は納得しているのだ。
大事な子供たちだ。
だから、子供たちを見ていけばよいのだと思う。
tairaannさんも、お父さんの今を大事にしてあげる一方、子供の将来も大事にしてあげてほしいな、と思う。
私がこんなことを考えていられるのも、母と妹がつきっきりで看病してくれたからなのだ。
私の父も何度もガンの手術をしてもまた長生きしたりで、別れを惜しんだり、考える時間は私には十分あった。
今現実にはこの世にいないが、私には実家でビール飲んでテレビを見ているように思える。きっとそうなんだ。
子供たちに文句を言ったり、私に昔の仕事の話をしているのだ。
でももしかしたら治るかもしれないとはいつも思ってた。治らないなんてギリギリまで思ってなかった(私はね。先生はそうは言ってなかったと思う)
自分がガンになったら。そこまでは考えてない。
かわいそうな病気だけど、ボケたり、植物状態じゃないっていうのや、痛みと戦うっていうのは、らしいかもしれない。